「わたしは、楽しいことをしているだけです」という言葉の落とし穴
「わたしは、楽しいことをしているだけです」
「好きなことをしているだけだよ!」
これはある意味、真理なのだけれど、今好きなことが分からない人は、鵜呑みにしてもうまくいかない。
ノウハウや成功者のエッセイがもてはやされるけれど、そんなの真似したところでうまくいかない。そもそも人はそれぞれ、持っているもの(才能・能力)が違う。
成功するには、”考え方を変えること”とか”行動を変えること”なんて言うけれど、そもそもの<考え方>と<行動・Do>がどういう<在り方・Be>から来ているのか、これが分からない限り、その成果を上げることはない。
1、感情
2、思考
3、行動
思考が先であることも多い。いま考えていることをただ書き出すことで、その気持ちがわかる。
そこから自分に問うだけでいい。「今、何をしたいのか」「いま、何をしてほしいのか」
自分が持っている常識も違うし、見極め方も違う。ハウツーや普段の行動を真似したところで、うまくいくことはない。
それはなぜか?という文章をまとめているのだけれど、結局一番のポイントは「今ここ」「いま・この瞬間」何をしたいかを常に自分に問う事。
スピリチュアルでも仏教をはじめとした宗教関連でも、これは言われるのだけれど、人間はちょっと気をぬくとすぐに過去か未来に思考が飛ぶ。「あのときああしておけば・・・」とか(今を認められなくなる)「これができたら、〇〇をしよう・・・」とか。
これは幽体離脱しているようなもので、後悔しているなら今しよう。やりたいことがあるなら、今その楽しさを味わおう、ということ。
自分にとっての楽しいと、他人にとっての楽しいは全く別物。これを価値観というのだけれど、自分が心地よい空間が他人にとってはそうでないことも多い。
好き・楽しい・ときめく・心地よい・ほっとする・・・などをまとめて、ワクワクするとか言われるんだけれど、私はワクワクの落とし穴にはまったタイプなのでワクワクという言葉を避けています。(真のワクワクと偽物のワクワクは全然違うのですよ。)
人がずっと続けられる作業には、こういった共通点がある。過去に大好きだったものづくりをベースに進んでいったのだけれど、ビジネスが分かっていなければメニューを組むことができない。最初の頃に、何を思ったのかアートを選択したので(もちろんうまくいく人はうまくいくのだけれど)目標設定とこだわりを見事に間違っていた私は、作品(商品)が全然売れなかった。
日銭を稼ぐついでに、賄い目的で飲食のバイトを続けて、さらには夜の仕事でカウンセラースキルの実践という、かなり無謀な行動にでた。苦笑
売れなかったのには明確な理由があって、購買層に自分の商品が届いていないことだった。集客と営業がもちろんビジネスや商売の基本なのだけれども、レストランに行ってどれだけいい素材であっても、野菜や肉がそのままテーブルにドーンと出てきたら、そんなのサービスになっていない。
自分の商品を欲するのは誰か、というターゲティングも大切なのだけれど、まず沢山の人が見に来るところで売るというのがインターネットでは容易にできるから、さっさとインターネットを活用すればよかったのだ。
という幽体離脱の過去の公開、の話になってしまったのだけれど、絵を描くことが好きでも見るのは嫌いなんて人もいる。つくることに興味があって、幸せを感じるなら、その要素をしっかり掘り下げていく必要がある。
そんなわけで、惰性ではなく毎瞬毎瞬自分に問い続けることがひつようで、さらに最初は好きではじめたことでも目標や、夢とか使命といわれるようなことに縛られて、不自由を感じている人は一度自分の本当の好きと向き合う必要があるよ~というおはなしでした。
好きはいつも変わっていく。人間は変化し続ける生き物だから、何かに縛られる必要は、無い。
大抵の場合自分を縛っているのは、過去の思い込みで、これから起こる事は思考は知らない。
脳は答えを知らない。
気持ちを味わえるのは、感情の部分で気持ちの部分だ。