読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Choice

好きをみつける→仕事にする、をサポートしている日々の記録と人生相談を受けて思う事

死にたい、は生きたいである話。グリーフケアと自殺願望の相談に思う事

カウンセリング 心理ワーク

人間である以上、人はいつか死ぬ

すごく当たり前のことだけれど、現代社会において死に触れる機会は少ないらしい。核家族だったり、近所づきあいが少なかったりで、世代を超えて人とかかわっていると、当たり前にある葬儀でさえ、子供時代に経験していない人が多く驚く。

 

生き物やペットを飼うことで、生命はいつか死ぬという事を知れる。命の大切さ云々よりも、自分自身も目の前にある誰かもいつかは死ぬということを受け入れながら生きる必要が在る事を感じる。

いつ死ぬかわからないのに、生きるのめんどくさいなと思った事が、子供時代にあった。

 

死生観をもつことの重要性

ふと「死にたい」と思う事があった。最近でもたまに、嫌なことがあると、死にたいと思考が浮かんでくるのだけれど、思うのは自由で、もちろん行動に移すことはない。

(そもそももっと美味しいものが食べたいし、旅行がしたかったり、欲があるのでそんなもったいない事はしない)

 

それでも浮かんでくる思考は、否定するのではなく、ほったらかしにして受け流すとさら~っと去っていく。

 

死にたい、はフェイク

そんなわけで<死にたい>は、フェイクでその言葉を借りているだけで、違う何かの本音がある。さみしかったり、わかってほしかったり、色々あるけれど、人前でこれを発言するタイプの人間は、共感を求めている人が多い。

 

結局それは「○○してほしい」「わかってほしい」と言えばそれで済む話なのだけれど、一つ前の記事に書いたようにセリフを知らないと、言えない。だから解決することも無い。

 

自殺願望の相談

人生が嫌になって、死にたいと思ってそれを相談しても、その思いが消えることが無いんです。と言われる事が何度もあった。それは自分の人生を嫌にしてしまっているからで、嫌なことを辞めていくこと。イエスマンになるのではなくNOを伝えていくことで相手のふるまいも変わっていく(変わっていくように見える)から、これまでいい子ぶりっこしてきた人はノーを言う為に、今の現実が嫌になっている。

知人のカウンセラーの自殺願望のクライアントに対する手法が、すごく興味深く共感するのではなく、すべてを応援するという方法をとっていた。

 

死にたいという人に対して、応援するよという

死にたいくらい人生が嫌だったり辛いのだけれど、もはや自分では何をどうしていいのか分からないケースが多い。客観的に見ればすごくシンプルなので、クライアントであれば、すぐに行動していく方法を一緒に考えていく。

けれど、その人は「あなたのする事、したい事、全部応援するよ!ほんとうに、したい事なら!」というのだ。

 

共感しても、同意されても解決しないことが多い。死にたいと言っている人に、死んじゃダメ!という人も多いし、死のうとする人がいたら止めるのが筋・・・とされているが必要なのは、まず相手の本音を聞いてあげることで、否定も肯定もいらない。

 

いちど飲みの席で、「わたし死にたいんですよね~」と笑いながら言う人に出会って、簡単に死に走るようなタイプの人間に見えたので、彼女に応援するよと伝えた事がある。あっけにとられた彼女は、自分の本音に気づき、自分の道を歩き出した。

もちろん「じゃあ死んだら?」と言えばショックを受けるのは見えていたから、応援という言葉を使った。

 

かまってほしいなら、優しくされたいなら、話を聞いてほしいならそう言うんだよと伝えた。

 

 

グリーフケアに思う事

身内の自殺は面倒くさい。

 

言葉はすごく悪いのだけれど、ほんとうに面倒で、周囲に与えるショックが大きい。他人をコントロールすることなんて、できないし、人は人の言う事なんて聞かない。

 

わたしは、ある意味死にたい!と思って死ねる人を尊敬している。

怖すぎてそんな事は出来なかったからだ。10代前半に家庭環境から本当に死のうと思ったことがある。

とりあえず飛び降りを検討して窓辺に立ったとき、やらなきゃいけないことや、やり残したことが脳裏に浮かんで、実行なんてできなかった。それ以来、死にたいと思ったときはその思考を否定していた。「こんなこと思ってはいけない」と。

それに苦しんでいた時期もあったけれど、頭の中で考えることは、自由で、どちらでもいいと自分に許可を出せるようになったとき、世界の見え方が変わっていった。

 

日本人の死生観

こどものころに初めて、真剣に死について考えた時、痛いのも怖いのも嫌いで、死んだらどうなるのか分からないのに死ぬなんて、ナンセンスすぎて実行できるわけもなかった。きっかけは親から死にたいと際限ない愚痴とともに死への願望について告げられたことだった。あまりに辛すぎて、他人にその発言をすることは無く、当時は真剣に悩み死について考えていた。

 

そこから世界の宗教や、スピリチュアルなど様々な分野の本を読んだり、いろんな人に会いに行ったりするのだけれど、結局死んだ人に会ったことがないので、明確な答えは分からない。

肉体を持っていないのだから、当然の話である・・・苦笑

 

死にカタログという本

世界中だと色々な死生観がある。輪廻転生もあるのか、無いのか分からないけれど考え方は沢山ある。チベットで医療支援をしている人の話はとても興味深くて、医療が発達しない理由は、死んでもまた生まれてくるからと医者がすぐに諦めてしまう事だった。

そういう意味から考えると、日本人は生きることに対する執着が強いのかもしれない。

世界各国のお葬式事情についても書かれているので、かなりお勧めの一冊。

 

死にカタログ

死にカタログ

 

 

 

死はいつからダメなことになったのか

だれも避ける事はできないけれど、当たり前にある生と死。どっちも大して変わらない、とおもうのでした。