いまここ意識と人を喜ばせる秘訣。
ボケた祖母に学んだ、【今ここ】意識と人を喜ばせる秘訣
祖母は4年ほど前に脳梗塞を発症した。幸い、大きな麻痺も無く、普通の毎日を過ごしているのだけれど、日に日に痴呆がひどくなっている。
一日一緒に過ごしていると、昼間食べたものや、私の名前も他の人と間違える。それでも一緒に笑った内容の話だったり、人が沢山集まったりした時や、強く感情が動いたこと等は不思議なものでよく覚えている。
瞬間瞬間生きるとは、過去に執着しないこと
祖母は、昔の事を思い出せないらしい。といっても結婚前の娘時代の事は鮮明に覚えている。
人間の記憶というのは、とても曖昧なものだ。という事は仕事柄よくわかっているつもりだったのだけれど、過去に聴いていた話の内容とは別の、様々な記憶が新しい別のエピソードに書き換えられていて、果たして何が真実なのかわからない。
といっても、祖母が好きな食べ物を食べさせると「こんな美味しいもの、初めて食べた!」「これは何ね?」という興味深々なやりとりが毎回行われる。
「こんなの初めて!」は、聴く側はとても幸せだ
こちらはもう慣れてしまって、今日もこの反応なのだろうなぁ・・・と予測はするのだけれど、人が喜んでいる姿というのは面白い。
初めてと言いながら彼女が食するものは、こちらがチョイスした彼女の大好物である。大好きで当たり前で、その新鮮な瞬間を毎回味わえるのは少し羨ましい。
もちろん、その瞬間でさえもすぐに忘れてしまうのだけれど・・・何度見ても、分かっていても、祖母の喜ぶ姿を見るのは嬉しいものである。
ああ、男性とデートしているときに「こんなの初めて!」というとウケるのは、こういう感覚なのだな・・・と祖母に勉強させてもらった。
今この瞬間を生きるとは、<過去、今、未来>という線ではなく<点>
ばーちゃんは、ばーちゃんの今を生きているんだなぁ・・・と子供と過ごすときに、いつも立ち会い共有していた感覚を味わっている。
所謂”未知との遭遇”の瞬間を毎回見守る。これが、最近のわたしの幸せな時間である。
親子関係というのは、面倒臭いもののようで母や叔母はそんな祖母にイライラしている。のだけれどその横でわたしは毎回、キャバ嬢並みに大きなリアクションをとる。
こうすると、祖母はとても喜ぶ。名前も忘れてしまった孫でも、親切な人として認識する。ちゃんと名前を呼ぶときもある。もはや名前など、どうでもよくて、よく泣くようになった祖母の<楽しい>を共有することだな~としみじみ感じる。
そもそも子供のころから、親戚中で似たような名前が沢山あったので呼び間違えられることはしょっちゅうだったから、どうでもいいのかもしれないと文章を書いていて、ふと気づく。
こんな状態で1人暮らしを続けていて、周囲の親族がサポートしているとはいえ、それが無理になるのは時間の問題である。叔母が古い考えの人間で、老人ホームに預けるのを拒む。
とはいえ叔母自身も持病を抱えており、まったくもってサポートできている状況とは言い難いのが正直なところ。老人虐待だ!と親族で言い合うこともあるほどだ。関西人にありがちな冗談半分、本気と皮肉も混ぜている。
もちろんデイケアにも通い、徒歩3分ほどの近所にすむ叔母はサポートを頑張っている。祖母の兄弟も朝晩とお茶を飲みに来てくれる。
拡大家族で育ち、生涯一人暮らしをしたことが無かった祖母は、一人で住むのが好きではない。
離れて暮らす私や、実家の両親はトラブルが起こるのも時間の問題と感じているが、叔母は全くそう思っていないらしい。
自分の落ち度が見えない人間が苦手だ。完璧にこなしていると思い込み、周囲にも強制的に手伝いを要求するものだから、たまったものじゃない。
どれだけ完璧にこなしたと思っても、絶対に80%程度しかできていないという考えで生きているから、お互いさまとか助け合いという精神が育まれる。
叔母がジャイアンを卒業する日は、こないのだろうなぁ・・・なんて想像を巡らせている。
兄弟は他人の始まり
そんな言葉がいつも頭にうかぶ。兄弟も親子も同じ一つ屋根の下で過ごしても、考え方も顔も違う。
似ているという事は、まったく別の存在ということを痛感した2016年のお盆だった。同じ人なんて存在しないし、同じ考えの人は一人もいない。
自分の意志を早いうちから、言葉にする。
自分の人生の選択は、自分でする。これを忘れないためには、日々何かに集中している必要があるな・・・なんて思うのだった。
惰性で生きるのは、簡単だし生き方の一つでもあるけど、人生をさぼっていると好きなことも、本当の喜びも分からなくなるよ・・・と過去の自分に告げるのでした。
さっさと好きなことを、やれ。毎日楽しく今を生きれるのは、好きなことを探した人の特権だから。
探さないと見つかるわけが無い。
大抵、当たり前にやっている作業や趣味の中に、その好きポイントは潜んでいる。