Choice

好きをみつける→仕事にする、をサポートしている日々の記録

平和に生きるコツ、しあわに生きる方法は「物事をジャッジしない」だけれど、ジャッジが必要な時にしないのはただの妥協。

いちいち物事を、ジャッジしないこと

しあわせに生きる、平和に生きるにはこれはすごく大切なこと。白黒はっきりつけないと、気にくわない人といると、イライラしていたり、ヒステリーを起こしたりするのでとても面倒くさい。

 

見て見ぬふりをしろ、というのではなく、自分の価値観を人に押し付けていないか?をまず考えてみてほしい。

そんな場所にいることも、人と関わることも面倒なのでさっさと離れる。

 

それができないから、イライラするんです!という人のケース

例えば子育ての場合は離れることが難しい。悩む人の多くは、こどもを自分の思う通りに動かしたいというケースが多い。本人は一生懸命なのだけれど、大抵よくわからない著者が書いた一般的な子育て本や雑誌やテレビの情報を基準に、こどもがあれが出来ていない、これが出来ていないと指摘し頭を悩ませる。

 

親の言う事を聞くこどもは、本当にいい子なのだろうか・・・?といつも疑問に感じるのだけれど子供にいう事を聞かせたいということと、子供に聞いてもらいたいスタンスでは真逆で、一人の人間として扱っていれば子供と意思疎通はとれる。

 

いう事を聞く=イエスが良い子ではなく、自分の嫌な事にはNOを言える、そんな子供であってほしい。

親が嫌なことは子供だって進んで取り組んだりしない。お手伝いしないと嘆くクライアントさんに伝えるのは、意思があって最高ですよ!である。

 

(たいていポカンとあっけにとられていますが・・・。)

 

良い子症候群・素直すぎる子供たち

良い子症候群なんて言葉がある。こどもは褒められると嬉しいし、大人が喜ぶと嬉しいから自分の意思とは裏腹に、人が喜ぶことを基準に物事を決めていく。

 

かつてそんな子供時代をすごした人が、成長し大人になって、まじめに生きてきて、ほめてくれる人が周囲にいなくなったり、自分が好きなことが分からなくて・・・と相談にやって来る。

本当はやりたいことも、すきなことも分かっていたけれど、周囲の意思を優先した人も多い。(せざるを得ない状況にもっていかれた・・・ともいえる)

ただしどんな選択であれ、選ばされているのではなく、選んでいるという意識に変えない限り人生は変わらない。

 

ジャッジする必要があるとき

自分の価値観を明確にしようとしている人は周囲の言葉を鵜呑みにするのではなく、ジャッジすることを受け入れる必要がある。

 

自分と同じ価値観という人は、一人もいない。

 

 

自分の人生を生きようと思った時必要になるのは全てをジャッジしまくること。

 

★よりわかりやすく書くと、<いちいちジャッジしない>という発言する人が、本当に伝えたいことは自分や人を<ジャッジしない>ことではない。

 

ジャッジしている自分を受け入れる事ができると、周囲に自分の価値観を強制したりしない。

 

他人をジャッジしないのではなく、ジャッジしていることを否定しないこと。

つまりはジャッジしていいという意味。

 

全く真逆の言葉で、同じことを言っているので禅問答のようになることが多いこの言葉。自分のジャッジを受け入れられると、周囲をジャッジしていてもそれを口に出して指摘したり、コントロールしようなどとは思わない。

 

結局、根本的な在り方が違っているので、お互いの言語が違いすぎる。

 

本来、受け入れるべきは、周囲の価値観ではなく、自分の本音で好きなことをする人生を考えた時、ジャッジなしには好きややりたいことは分からない。

 

そんなわけで、すきなことが分からない人は、一度三歳児のイヤイヤ期のように、これ嫌~あれ嫌~という本音を出し切ってほしい。

 

嫌を出し切った後に、好きややりたいことは必ずみつかる。