好きを知るために、嫌・苦手をやめていくの注意点
好きを知るために、嫌・苦手をやめていくの注意点
とにかく面倒くさいとき
よのなかぼーっと過ごしていると、面倒くさい事が多い。そんな面倒くさいは得意な他人に依頼すれば、それは彼らの仕事になる。この意味が分かっていたらいいのだけれど以前、嫌なことをやめるといったら「歯磨きが面倒くさくてやりたくないんです。」なんて人がいた。
人に頼んでみよう!
ただやめるのではなくて、生活や仕事に必要なことは徹底的に誰かにお願いするという作業が必要だよ~という話。これが他力。
歯磨きは、旦那さんに磨いてもらえばいいのだけれど、その人は自分の頭では思いつかなかったそうな。恥ずかしさから、そういうコミュニケーションは嫌だったらしく、それなら歯医者でクリーニングをする回数を増やせばいいだけで、電動歯ブラシを使うとか対策はいくらでもある。
生きていることが嫌という病(苦笑)
私の場合は、「嫌なことをやめろ」と言われたときに、一番いやになっていたのは「生きていることが嫌」だった。もちろんこれはフェイクの”嫌”で実際は”生きていること”が嫌だったわけじゃない。
でも言葉としては、ポロっとこれが出てきたので(もう生きるの嫌!と言っても死にたいわけじゃない)自分の本音にびっくりしたのだけれど、冷静に書き出せば生きていることではない事がよくわかった。
何が”嫌”かをはっきり細かく、明確にしていくことで、当時生活の為にしていた派遣の仕事が嫌。その周囲にいる人が嫌。上司はいいけど、教えてくれる先輩がうざい。まどろっこしい。薬好きの人に、ヒステリックな人に教わるのがとにかくいやだった。それよりなにより、毎日オフィスに通勤するのが嫌。オフィスカジュアルの好きでもない服を着るのが嫌・・・そんなものに金を払うのが嫌。もっと絵をかきたい。(←ここでようやく○○したいがでてくる。)
そら毎日それだけの「嫌」に囲まれていたら、人生が嫌になるのは当たり前のことだった。
加えて実家暮らしだったので、実家の母の愚痴を聴くのが嫌。(しかしお金が無いのでどうにもならない)それを明確にしたところ、直後に居候をしながら都内で仕事をすることになる。
嫌を吐き出せば(書き出して明確にするだけ)こんな感じでさっさと捨てれる。捨てれば新しい事が入ってくる。けれど、自分から新しいものを探す必要もあるので、これさえもめんどくさいと思ってしまえばそれまでだ。でも新しいものは何でも好きな人間なので、毎回楽しい!に駆られる。もちろん、なんでもかんでもスムーズにいくわけじゃない。はじめから自転車に上手に乗れるわけが無いのと同じで、失敗しながらすすんでいくのは当たり前。乗れるようになるまで乗り続ければ好きな人生にのることは誰にでもできる。
自転車にのれるまで、練習し続ける事
嫌なことは、好きをみつけるヒントに使う為にある。だから嫌は嫌でいいのだ。嫌を愛するようになったら、ずいぶん生きるのが楽になった。愛と憎しみは表裏一体で愛憎とか美醜とかそういったものは魅力的だ。ポジティブシンキング馬鹿にであって、その人は、この話をするとポジティブじゃない自分を否定し続けていて面白かった。
自分の失敗や学びは誰かの役にたつ。多分、それらは宝物なのだ。
なぜか最後はバカボンのパパのような口調で書いて、一人ツボにはまる・・・。
書いてからこのブログはですます調でいく、と決めていた事にきづく。やはりチェックシートが必要なので紙にメモってから書こう・・・なんて後悔するのでした。
まあいいや、ただの日記ブログだし。