Choice

好きをみつける→仕事にする、をサポートしている日々の記録

何かを責めている限り、何も変わらない。人を責めなくていいし、自分も責めなくていい。

何かを責めている限り、何も変わらない

命令して人が動くとき、我慢が必要でこれはストレスがたまる。命令は威圧や怒りなど、コントロールすることで相手にストレスを作ってしまう。命令をただ<依頼>に変えるだけで、人は喜んでくれるようになる。

人を責める人は、自分を責めその矛先が他人であれ自分であれ、行動に結びつくことは無い。

 

悩みがなくならない人間は、自分で自分を責め足枷をはめている。

 

依頼やお願いは、喜びにつながり豊かさが循環する

前者が反発が抑圧を生むのに対して、後者の依頼は相手を尊重することができる。どちらも似ているのだけれど、全く別物。

 

相手に有無を言わせない命令と、選択を与える依頼とはやりがいが全く違ってくる。もちろん断られてもそれは、当たり前のこと。相手を尊重することは、YESもNOも受け止めること。

 

愛情と愛

「あなたの為を思って言っているのよ」というのは大抵の場合、相手をコントロールしたい人間が口にする言葉で、本当に相手のためを思っている人はこんな言葉を使わない。相手を尊重するコミュニケーションをするには、命令をする必要はない。

 

あなたの為を思っているひとは、すべての判断を尊重する。アドバイスを頼んでいないのに、してくる人は大抵の場合で自分がアドバイスが欲しい人間なだけ。

 

愛情があるから怒るんだというのは、私は傲慢だと思っている。怒りを人にぶつけることに対して、理解できない。もちろんパートナー間では、感情をぶつけ合うのも必要な場合もある。

自分の感情の責任は、どんなときでも自分の中にある。

 

これが分かっていない人と、かかわることが苦手だ。

 

愛情をはきちがえてはいけない。愛と愛情、この二つの言葉はとても似ているけれど、漢字をみるとおもしろいもので、情とは<心が青い>と書く。

情に深いというと、良い言葉のイメージが強いけれど心が青いようだ。情に流されているときは、まだまだ青いというのはこういうことだったのか・・・と書きながらハッとするのでした。