Choice

好きをみつける→仕事にする、をサポートしている日々の記録

他人にイライラするのは、フェイク

他人にイライラするのは、原因は他人ではない

人の行為をみてイライラするのは、自分の感情。自分がイライラしているだけで、相手は何も関係ない。相手がとろいとか、思うように動いてくれないとか、エスパーでも無理だよそれ?と思うことが多い。

 

ただでさえ言葉にして伝えても、大抵の事は伝わらないし、人は思うように動かない。動かすにはスキルが必要である。

 

自分の感情に責任をもつこと

自分の怒りは自分が原因で、人が思うようにならないのは当然のこと。相手に察してほしいとか、空気読めとか、無理な話。大抵の場合、「空気読めないよね~」と言っている人が一番空気が読めていない。空気が読める人は、そんな発言をそもそもしない。

 

「あのひと、自分勝手」と言っている人も同じで、大抵の場合他人に”自分勝手”という場合、その本人が一番自分勝手である。人は好きなことをしているとき、他人など眼中に入らない。

 

そもそも人は、勝手に生きている。このことを認識していない時点で自分勝手すぎる。

ただこれは、自分勝手にふるまってはいけない、と思い込んでいることに気づくチャンスでもある。

 

もちろん社会規範に反しない行為、行動というのは大切なのだけれど、自分が自分勝手と思っていることが、実際はまったくそうでないことも多い。

 

マナーや相手に不快感を与えないことは大切。けれどそれと自分勝手は全くことなる。

 

怒りで人をコントロールするのは無理な話

日本社会では、感情を抑える事をよしとする傾向がある。ビジネスシーンでは特にそうなのだけれど、本音を伝える、気持ちを伝えるのは大切なことで、要望をいう事は大切なこと。

会社ではこれができても、子育てでこれができない人が多い。

 

こどもにとって大人はゴジラ

ゴジラが大声で何かを吠えていたら・・・と想像してみてほしい。それだけで怖いし、委縮する。もちろんそんな状態で何かを支持されても、何を言われているのか認識することさえ不可能だ。ゴジラに出会ったことがないから、何とも言えないけれど、ゴジラに話しかけられるだけで怖い。(ゴジラサイズの大きな人に話かけられても、結構怖いと思う)

 

そんなゴジラが大声で怒鳴っていたら、それだけでこわいに決まっている。こどもは恐怖でいう事なんて聞くわけが無い。

 

「○○しろ」ではなく「○○してほしい」「○○お願いできるかな?」

人にものを頼む態度を考えてほしい。町で横柄な人をみることもあるけれど、親だからと言って子供に命令するのは、立場を悪用している。

そもそも子供は親の奴隷ではない。

レイプの相談、カウンセリングをするたびに思い返すことがあるので備忘録にしておこうと思う

レイプにあった人が、今日から生きるのが楽になる話

レイプにあって身近な人に相談するのは、やめた方がいい。さっさと婦人科に駆け込むことと、心理のプロに話を聞いてもらうこと。

 

世間の人は、「あんたが悪いのよ、色目使ったんでしょう?」とか、「自分の服装に問題があったんだ」とか、勝手な解釈で言いたい放題である。

 

みんな好きなことを言っているだけなので、あなたも好きに言い返していい。

 

一つだけ忘れないでほしいのが、レイプにあった人は何も悪くない。襲うやつがおかしい。キチガイだし、性欲をコントロールすることもできない人間にたまたま出会ってしまったということ。

相手が100%悪いし、決してゆるされることではない。

 

レイプに合わないこと

一番は、レイプに合わないこと。ただしこれは防ぎようがない。レイプに会うのが怖いので、家からでませんなんて言っては、人生を楽しめない。ここで一つのエピソードを紹介したいと思う。

 

レイプにあっても、あなたの価値は変わらない

「この国ではレイプには、くれぐれも注意してください。例えレイプにあったからと言って、自殺しないでくださいね。」

 

これは10代の人向けに行われる、教育の現場での言葉だ。

 

ある国へ留学する人々に向けて、行われる事前の講座で言われる話である。日本だとちょっと信じられない教育だけれど、性から逃げないこと。性教育を避けないことで、事前の準備ができる。

現在の、日本の性教育はとにかく中途半端である。

 

オープンにならないだけで、日本においても性犯罪は多い。家庭で小学校低学年の時に性を伝えることで、子供を守ることができると考えている。

 

災害時のレイプ被害

震災などの自然災害で、犯罪率が増えるのだけれど、神戸の阪神大震災時からレイプの被害は常に起こっている。東北でも然り。熊本ではレイプ被害にあわないためにという情報が沢山発信された。

 

女を出さないというのは、一つの手段ではあるが、それは災害時や非日常の話。普段お洒落をするのは、自分の喜びだし、マナーでもある。

ケースバイケースだから、使うところを間違えないでほしい。そしてもしレイプにあった人がいたら、専門のカウンセリングを受ける事と、余裕があるならばただ一緒に普通にすごしてほしい。

 

なにも言わないから、そばにいてというやつだ。

 

ちかんも同じで、あなたは悪くない

チカンについても、セクハラについても同じで、あなたは何も悪くない。一番大切なことは、絶対にひるまないこと。もしチカンをされたなら、しっかりNOをいう事。

 

そして大きな企業にいるのならば、しかるべき部署に通達すること。弁護士を介して、示談にもちこめば慰謝料の相場は10~30万円。組織内であっても警察に届けることはできる。

お金もしっかり請求すること。ただし、残念ながら自分からOKと捉えられかねない行動をしている人も少なくないので、仕事場で訴える場合には、メールや画像などの証拠と日時、時間などの記載が必要になる。

 

 

あなたの夢はなんですか?

今の夢ってなんだろう?

自分に尋ねたら変わる事を楽しむことと、自分のスキを大切にしていくこと。挑戦をやめないこと。これしか出てこないので、出たとこ勝負な人生は変わる事がない。あまり大きな夢と言われるようなものや、具体的に目標と言われるものは無い。

 

ただただ、しあわせな毎日を生きるには、瞬間瞬間でしあわせ!と思えることを選択していくことだと考えている。

 

沢山の夢をみてきた

こどもの頃から数えきれないくらい、夢をみてきた。その中で叶ったもの、叶わなかったものがある。もちろん取り組んで、行動して結果手に入らなかった時と、手に入らなかったときに起こったことはただシンプルだった。

 

成果が出るとき、達成できるときは、最初の時点で、”できる”という確信がある。これは直感の話で、思いつきとは全く異なる。

やりたいと思って取り組む先に、自信につながっていくことはできるものと、できないものがあった。結局のところ、できるものは「やりたい」ではなくて、「やる」というもうその姿そのものになっているような感覚があった。

 

大きくなったら、何になりたい?

子供時代によく大人に聞かれていた。幼少期は、とっさに反射として思いついたものを口にしていた。お花屋さん、バレリーナ、アイスクリーム屋さん、お菓子屋さん・・・その職業は日々変わっていって、お花屋さんなら花がかわいいから。バレリーナはクルクル回るのが好きだから。アイスクリームを食べるのが大好きだから。お菓子や甘いものが好きだから。というそのとき”好き”なものに翻弄されていた。

 

幼稚園児のころ、親の転勤の為に周囲より一足先に卒園をした

小学校入学を前に、転勤のため、周囲よりさきに卒園することになった。先生に放課後に、カセットテープを回した状態で、説明なしで将来の夢を聞かれた。

 

「大きくなったら、何になる?」

と先生に聞かれた私は、なぜかスーパーのレジの人とこたえた。

 

記憶をたどると当時、幼馴染がもっていたレジのおもちゃでよく遊んでいて、実際のレジを触ってみたくて仕方が無かった。

金額を入力すると、ガシャーンとでてくるお金の入った引き出しが触ってみたくて仕方が無かった。

 

とっさにレジの人と答えていた。この夢は最初についたアルバイトで、即叶えられた。おいしいものを作って売る、接客のすべてをそのバイトで経験させてもらった。レジの人は、もちろん楽しかった。

 

ただ、これは大人からすると、まったくもって”夢”は無い仕事である。スーパーのレジにあこがれる大人は少ない。

けれど子供時代のその時の自分にとっては、それが夢だった。多分ひとことさわらせてくださいと言えば、答えてくれる大人はいくらでもいたと思う。

 

最初に描いた職業はすぐ諦めた、画家だった

小学校低学年の頃に、ケント紙に絵を描いて七夕かざりを作った。配られた色の紙が嫌で、その紙に絵を描いたら、思っていたよりもいいものが出来上がった。

 

こういう「ものを作る事」を毎日できたら、しあわせだなぁ・・・と考えて一番最初に浮かんだ職業は画家だった。ただ、わたしはその夢は思いついた瞬間、諦めた。

 

現実的な考えをもつ子供だったので、当時画家の知り合いが一人もいなかった事。それで食べていけるようなイメージはなく、芸術家という生き物はどこか、出来上がった作品が気に入らなければぶち壊してしまうような変な人のイメージがあった。(これは多分ぷよぷよの、ゲームの中でいた陶芸家だったように思う) 

自分は、そういう人間にはなりたくなかったし、何か人の役に立つことや、人を喜ばせる事がしたいなと考えてデザインや工芸に惹かれていった。

 

小学校1,2年生の頃の出来事で、その後高学年になって美術の先生が大好きで、教師という選択肢にもあこがれた。

 

転向先で、教師が心底嫌になった

その後、小学校卒業をまたずにまた転向した。転校先でみた大人の世界はそれまでとは全く違っていた。先生同士がいがみあい、ヒステリーの矛先に生徒をののしる。平和でしあわせだった学校生活から一転、教師のえこひいきやいじめを助長するような態度に、学校という場が安全な場ではないものに変わった。

もちろんいい先生もいたし、嫌な先生もいた。日本の公立の学校教育では、すくなくとも学校という場が好きな大人が集まっている。

 

学校という場が苦手なこどもは、教師という選択肢はしない。

 

 

中学時代に周りに流されて・・・

部活で剣道を選んだことから、なぜか警察官という選択肢が浮上した。クラスの友人に警察官の子供がいて、しきりに警官になりたいから剣道をしているんでしょ?と聞かれ、全然違うのに、そうなのかもしれないと洗脳されていった。

 

周囲の親族も教師や公務員が多かったので、現実的にそれもいいなと思い始めた。

 

 

真剣に剣道を続けられる道を考えて、それも悪くないなと思っていたときに、素行の悪い子に暴力をふるわれる事件があった。喧嘩をとめに入ったのがきっかけで、火中の栗を拾いに行ったのは自分だった。

この時に、人のためといっても、他人に攻撃されるような仕事はしたくないと思った。正義なんて時代や社会が勝手につくり上げているものだと知り、人が喜ぶ仕事ならともかく、犯罪者とかかわるような、キチガイを相手にする仕事には、つかないと決めた。

取り組む作業はもちろん、 だれとかかわるか、一言に人の役に立つと言っても、どんな世界の人とかかわるのかを決めることは、とても大切なことだと思う。

 

人の役に立つということ

人を喜ばせるという意味で、接客業について気づいたのは、美味しいものを食べている人を見るのが好きだという事だった。単純においしいは、たのしい。

 

アルバイトをしながら、コミュニケーションについて現場で実践しつづけてきたので、結局それが自分を支えてくれることになった。勇気を出して校則を無視しバイトをした16才の頃の私に感謝している。(もちろん、その後許可はとった)

 

人のしあわせもいいし、楽しい人の中にいるのもいい。けれど一番は自分のしあわせ。

卒業後はウェディングの仕事中に、お客さんからのふとした声がきっかけで、20代半ばで原点回帰し、画家としてスタートをきった。

「人の幸せ祝うのもいいけど、自分の幸せ一番に考えや~」

自分はいったいいつ結婚できるのだろう・・・と考えつつも、華やかで楽しく、運動会のようにスピーディーに挙式・披露宴をスタッフ同士でチームワークで行うのはとても楽しかった。 

ある日、お客さんに自分の幸せ考えや~と言われた。見ず知らずの主賓宅のおじさんだった。

疲れた体に鞭をうって働いていた、作り笑顔を見抜かれたのか、抑えている何かを見抜いたのかは今となっては、分からない。初対面の人が感じる事や、発する言葉は時に真理に近い。

 

その時に思い出したのは、進学先を選んだ時の事だった。学校を選ぶときに家計と家族の意見を優先した。

受験時期が早かったので、滑り止めに受けたその学校の合格通知が届いたときわたしは嫌で涙を流した。我が家の両親はその学校のブランドに、たいそう喜んでいた。わたしの気持ちを聞いてくれる人は、だれもいなかった。

周囲が喜んでいても、自分が嫌なら、それは嫌でいい。自らに由ることが、自由という言葉の意味を最近よく書くのだけれど、自分に由らない選択は自分を不幸にし、結局周囲も不幸にしていく。

 

親御さんによくこの話をするのだけれど、学校に行くのも就職するのも本人なのだ。その子の喜びや、楽しい時間が何かというのをしっかり聞いてあげる大人になってほしい。

残念ながら、学校教育でスキを仕事にしようとか、楽しい事をしようというのはまだ少ない。

夢や目標をもとう!というと、たいそう立派な言葉なのだけれど、それにむかって疲弊したり、ワーカホリックになったり、はたまた身体を壊す姿をみたいだろうか?

 

そんなことよりも、毎日を楽しく幸せに、ただ子供の心からの笑顔の方がみている方が幸せだ。

 

好奇心を満たすこと

ほかにもその都度、興味の赴くまま仕事をしてきた。今後も仕事は興味と好奇心を満たすことを、つづけていく。叶わなかったものは、結局続けられなかったことだった。

続けられないことは、最初からやらないことにしたら、必要なものが手に入るようになった。

 

結局自分がすべて決めていたのだな・・・なんて思うのでした。

 

 

 

そう書きながら、思いだすことは、こどもの頃に真剣に考えていた、世界が平和になる方法についてだった。世界平和といっても、平和なはずの日本でうつ病や自殺が亡くならないのはなぜか。

結局自分のしあわせを、自分で作る能力だと考えている。しあわせは考えても作れない。感じるこころについて、カウンセリングで伝える事と、コーチングで現実をつくっていくこと。言語以外で伝えるのが絵画で、自分の喜びである。これからもものづくりをつづけていける事がわたしにとってはしあわせなこと。

 

自分の生い立ちから、教育と心理面に興味がわき、好きだったものづくりと並行してどちらも仕事になっている。

 

 

 

 

Netflix火花お題「夢と挫折」

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日本の教育に思う事。教育を選ぶこと、子供が選ぶのをサポートすることが大切じゃんじゃない?と考えています。

以前、保育園に入れなくって日本、死ねの投稿がありましたが・・・日本の保育園や幼児教育・学校教育について疑問におもっていることを書きます。

 

保育園死ね!とおもった話

これ元気な時だと、まったく気づかなかったことでした。私自身もこの先生のように、楽しすぎてテンションが上がると声が大きくなります。こどもといると楽しくて、テンションも(若い頃居酒屋で注意されましたっけ・・・苦笑)

 

当時、突発性難聴に罹患し、合わせて原因不明の身体のしびれ&発熱&頭痛その他モロモロに襲われ寝る事さえままなりませんでした。心身ともにボロボロで自宅療養をしていました。人間、痛いと眠れなくなります(苦笑)

 

そんな時に、目の前にある保育園から聞こえてくるある音に、心底悩まされました。ああ、これはそりゃ保育園って騒音問題で建設反対されるよね、と痛感したのでした。

 

そんなわけで、今から書くのは「保育園落ちた死ね」じゃなく、「保育園なくなれ・・・」と思ったときの話です。

 

騒音って、子供の声じゃない

子供の声はかわいくて、安らいでいたんです。

 

園庭で叫ぶ、先生の声のトーン。

 

耳栓をしても、私の弱った身体は耐えられませんでした。窓を閉めても聞こえてくる先生の甲高い声。電車の音よりも、それは激しい騒音でした。

 

元気な時は、なんでもないのですが、その甲高い声に子供達もつられるんです。よくもわるくも子供は親や大人を見て育ちます。甲高い声の先生(違う先生

 

キーキー、キャーキャーいう子供のお母さんは、たいていヒステリックに怒鳴ったり、怒り散らしたりしています。

こどもはそれを真似して大声をだしているだけ。(または逆もありますので一概には言えませんが・・・)

 

こどもが騒ぐから、じゃなくて親が大声をだしているから、子供もそれに反応している。

大声でコントロールしようとしても、いう事を聞く子はいません。

 

騒音になる原因を作っているのは、大人

先生がキャーキャー甲高い声をだしていると、子供もそれをしていいと思うようになります。そら大人の真似してうるさくなりますよね・・・。

この話を思い出したのは、フィンランド人の友人と話していた時でした。(フィンランド人は、こどもと大人はキャーキャー遊んだりしないケースが普通です。)

 

夜泣きの原因も、こどもがぐずるのもから

ぐずる原因は、親にある・・・というと。ええ?そんなわけないでしょう?という親御さんが後をたちませんが、少し前に話題になった夜泣きは放置せよ!という話。

(夜泣きには対応しない=夜泣きをしてぐずれば、親が来てくれる、いう事を聞いてくれると思い込む)

もちろん、所説ありますし、何かの症状だったりすることもあるので一概には言えません。一番たいせつなのは、その子をしっかりみること。

 

ただし、大人の在り方を、子供は真似します。

 

そんなわけで大人が原因を作っていると考えて、接し方を変えていくこと。

こどもがいう事を聞かなくて、イライラする!というお母さんが、子育てが楽しくなる方法

こどもがいう事を聞かなくて、イライラする!というお母さんが、子育てが楽しくなるはなし。

 

子供が言う事を聞かないんです。

 

「いまわかって、よかったですね!」

その子はすごく良い子に育ちますよ。

 

(というのは、もちろん将来の話)自分の意思表示を出来るということは、素晴らしい人間です!!!という事。

 

いま反論してくるのも、あなたと対等に接している証拠。是非、そのまま大きくなってください。親御さんはこどもさんと向き合って、しっかり信頼関係をはぐくんでいってください。

 

人は他人のいう事を聞かない

例えが極端ですが、上司と部下の関係で考えてみてください。部下を怒りでコントロールしようとしても、無理ですよね?

部下が反論してきたときに、受け入れていますか?下手すれば、パワハラモラハラで訴えられるか、我慢強い部下だったら反骨精神で耐え忍ぶかもしれませんが、抑圧によるうつ病で休職されるのがオチです。

 

怒られたら、だれでも嫌です。委縮していう事を聞くようになれば、待っているのは、いう事を聞きすぎて自分の人生を生きられなくなるだけ、です。

 

上司を親に、部下をこどもにあてはめてみてください。

 

 

部下だったら、どんな言葉で伝えますか?

相手が一緒に仕事をしている大切な部下だったら、その人にどんな言葉で伝えますか?お母さんと子供という関係は主従関係でもなければ、上司部下の関係でもありません。

 

ひとりの人間として扱っていますか?という、ただそれだけのことです。

 

こどもは赤ちゃんの時は、何もできませんが、お母さんから生まれた、別の人間ですよ!ということでした。

子育て相談に思う事

目の前の問題はフェイクである

こどもがうるさい、片づけをしない、何度言っても言う事を聞かないというご相談

 

これは何も、問題ではない。

 

*1

 

ただ、一人の人間として尊重しているかどうかだけを考えてほしい。子供は親の所有物でもないし、人格をもった別の人間だということ。

子供は未熟でも何でもない。ただの小さい人だという事をまず理解しておいてほしい。彼らは生まれながらにして、赤ん坊の時から既に自分の考えを持っている。

 

自分の身体から出てきた、外国人(宇宙人)くらいに考えてほしい。言語の異なる外国人や、別の星からきた宇宙人に言葉を教えて、お手伝いを依頼するくらいの感覚で接してほしい。

 

また、目の前にいるこどもが、自分にとって一番大切な友人だったら、その事を言葉で「どう伝えるか?」を一度考えてみてほしい。ほんとうにそのイライラをぶつけるだろうか?

 

自分と同じ考えの人間は一人もいないし、兄弟姉妹であってもまったく別の考えを持っている。夫婦も同じだけれど、相手がこどもになると、親は子供をコントロールしようとして、うまくいかないと嘆いてみたり、イライラする。

 

仕事で上司に怒鳴られて、いう事を聞きたいと思うだろうか?というシンプルな視点で考えてみてほしい。

 

イライラする原因は、自分にある

自分の感情は、自分のもの。

 

怒りっぽい母親に多いのは、こどもがいう事を聞かないから、自分は怒るのだという。それは真実だろうか?怒りの裏にある自分の思考や考え、思いを紙に書き出してみてほしい。

大抵の場合は、子供をコントロールしたい、思ったように動かしたいというケース。他人をコントロールなんてできない、という事をまず理解してほしい。

 

たとえるならば悪いけれど、文化も言語も異なる中国人に日本語でどれだけ話しかけても、通じることがないように、言葉だけではなく意思疎通を図るにはどうすればいいのか・・・親の側から歩み寄ってみてほしい。

同じお手伝いをしてほしいでも、言い方を変えるだけで、子供はすんなり動くようになる。

 

 

お手伝いをしてもらうときは、こちらは依頼している側であること。相手に動いてもらう為には、どういえば良いのかを自分の言葉で、通じるまで言い続ける事。

 

わたしは、こどもにお願いをよくするが一度で通じた事は、一度もない。ただ、心がけているのは一緒に行動するということ。

また、自分が遊ぶこと(たとえ、嫌な作業であっても)全ての行為が遊びになると、子供は一緒にノリノリになる。

 

ただし、嫌いな作業を楽しそうに見せても、すぐにバレるので本当に楽しくできることだけを一緒に行う。ただ、一緒に作業をする喜びを共有するだけ。

 

親が楽しそうに歌を歌いながら洗濯物をたたんでいると、こどもも自然と一緒にたたむようになる。

 

なにより、こどもは親御さんの笑顔が大好きだ。

 

相手にただ反応しているだけ

イライラする原因は、目の前の相手にあるのではなく、自分の内面の問題。いま抱えている不満を、こどもにぶつけているだけ。

※そのイライラは子供ではなく、大人の旦那さんやパートナーにぶつけてください。子供はストレス発散の道具ではない。

 

こどもを怒りでコントロールしようとしても、いずれいう事を聞かなくなる。ガンジーでさえ子育てには失敗している。(失敗というと、表現が悪いですが・・・)

 

思うように動くことは無いし、完璧な人間もいない。

 

できるのは、子供が選ぶことを助けるくらいで、自分の人生を生きるのは自分しかいない。親にしてほしかったことをするのも違う。子供に何をしてほしいのか尋ねてみてほしい。

 

多分、大人よりももっとシンプルに子供は答えを言ってくれる。

*1:こう言うと、大抵の場合キレられる(苦笑)ムッとする親御さんや、あっけにとられるケースが多い。

いろんなものに興味があって、絞れない・・・という人が、今すぐ生きるのが楽しくなるはなし

ジェネラリストとスペシャリスト

全ての人が、専門職である必要はありません。世間では深めろとか、極める事を強要するケースが多いですがすべての人がスペシャリストである必要はないし、強制するものではない。

好きなものを極めればいいし、新しいものが好きなら常に新しいものを追い求めればいい。個人によってそれは異なるものなので、自分の素質・気質を知ること。

どれもこれも出来る、けれど突出するものがない。

それなりに、すべての作業をこなせるというのは強みだけれど、一番になる事がないので人から仕事を頼まれてパンクするケースが多い。

 

ジェネラリストはジェネラリストのプロを目指せばいい。

コーディネートや仲介、紹介業などいくらでもあるのだけれど、自分の興味の続くものはもちろん、方向性を持っている人と仕事をするという事がポイント。

 

TOPをしっかり選んでいくこと。

 

ジェネラリストはもちろん、マルチポテンシャライトという価値観がこれからの時代に必要不可欠な感覚。

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エミリー・ワプニック: 天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう? | TED Talk | TED.com

 

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